「HMV&BOOKS書店員が選ぶ今月の5冊」というのに漫画「ベルリンうわの空」を選んでくれています。(>リンク) 「都市デザインワークス」という仙台にあるNPO法人のサイトが漫画「ベルリンうわの空」のレビューを書いてくれています(>リンク) だいぶ適当に過ごしている。家にずっといることも、黙々と作業をすることも、好きだし自分は適していると思うけど、それでもそれは世間の多くの人がそうではなかったから集中できるものだったかもしれなく、今はまたちょっと違う方法でやろうとしてる感じがある。
こういう世の中の状況で自分がやっていきたい姿勢というのは、とにかく、その瞬間その瞬間でどういう愚かさが人間界にあるとかとは無関係に、自分を謙虚に見守ってあげて、人間界の愚かさが起こす嵐に巻き込まれて弱らないようにした上で自分たちの人生に集中するという感じ。生まれ育った国ならできていたことが、こんなにできない、ということがまだまだ多くて焦ってしまう。長期的に見れば広がった可能性のほうが大きいけど、一時的にはものすごく封印された状態になり、それをしのがないとその先がない。だけどしのぐということには色々あって、すぐに帰ったとしても生きていればそれなりの収穫や可能性の広がりがある。 取材の準備をやった。ちょっと前にも大学講義の質問への返答を作ったりしてて、無責任なこととか、専門知や学問を軽んじるようなことは注意しないとって思った。
アメリカを見ていて、「人間の社会がスパイク的(瞬発的な激変で、一気に揺り戻す)に変化すること」について思う。この数十年は、「預言者だけが号令をかけて、残りの人はその1チャンネルだけを視聴して、発信はしない」の真逆に一気に強風が吹いたような感じだ。発信にまつわるあらゆる責任やリテラシーがないまま、たくさんの発信が行われる。たくさんのチャンネルが、探求や利益以外にも様々な目的で発信を行う。1チャンネルしか理解できないような人たちを惑わせて、人生がぼろぼろになるのを、意味なく起こそうとする人もいる。 ユリウス暦のクリスマスだったので、きれいなかざりや行事を画面で見ていて、うろうろしていたらなぜかマッカ(メッカ)の映像についた。スケートリンクのような神殿で、ぐるぐる回るタワーフをやっているyoutubeのライブ映像だった。イスラーム暦でいつだと、この行事があるのかも知らないし、特別な中継ではないのかもしれない。 いつもグリーンカレーペーストとココナッツミルクでカレーを作ってたけど、シュニッツェルでカツカレーを作ってみたいから、日本っぽいカレーを試作してみた。ケチャップとか小麦粉とか、マサラっぽいやつを足したら十分それっぽくなった。
犬の散歩に行った。初めて会うOさんもいた。スーパーは休みで、何か食べるものをインビスとかで買って帰ろうと思ったけど、あんまり好きじゃない賑わいかたで賑わっていたのでそのまま帰った。昔は「冬は自転車は無理だろうな」と思ってたけど、余裕(温暖化)。 アメリカで累積感染者数が2000万人を超えたってニュースで見た。アメリカでの色々は、このパンデミックがそれぞれの社会構造とかをすごく反映してるなって感じをよく示していた。初めてCDCのサイトに行って、各種数字を見た。集計された死者数だけでもカウント方法がいくつかあって併記されてる。たしかに、という気持ちで注釈に納得しながら見た。やっぱり75歳以上の死亡件数が圧倒的に多く、75〜84歳と85歳以上の2カテゴリでは、(カウント方法によっては)50人に1人とか130人に1人とか、そういう割合になってる。 そういう考え方を肯定すべきじゃないという前提で書くけど、こういうパンデミックみたいなものを「国のメンバー構成を(不可抗力的に)変えて経済的成績を上げるもの」として歓迎する人がいても不思議じゃないと感じる。歳をとった人だけじゃなくて弱い人や貧しい人などから順番に苦しくなるのは、パンデミック以外でもわりと多い。そういう状況は、経済力や労働力が圧倒的ゲームルールになっていて、それ以外の第2第3のルールたちがほとんど拮抗できてないっていう世界なんだろうなと思う。 (本当はどうだったかは別として)江戸時代の火事みたいなのを思い出す。派手に燃えて、ブロックごと延焼していくと、大工や家具屋が儲かったり、古い家屋を強制リセットできて、それでまた人々の生活もリセットしたりして経済刺激になるという感じ。筋肉で殴り合う世界よりマシかどうかとか、そういうことじゃなくて。今、こうなんだなという感じ。